たしかなこと の ひとつ
わたしの自慢話をひとつしましょう。
わたしはよく、目を見て話すねって言われるのだが、
それはわたしの中ではごく自然なことで、
そう言われることが違和感であるほどの些細なことなのだ。
わたしが目を見て話す理由のひとつは、
その人を見極めるため、
その裏には、怖がりな自分、すなわち何かをたくらんでいやしないかと見抜くため。
だから、わたしにとっては防衛本能のようなもの。
(あとは、かっこいい人のその造形をじっくり観察してる…とかね)
だけど
そうして目を見て話すことで、厄介な目にあうこともある。
なぜか おじさまキラーの称号を与えられたこともある(元バイト先の店長より)
なぜか、考えてみたのです、なぜ「おじさまキラー」になってしまうのか。
たぶん、相手が飢えているから。
適当になっていくコミュニケーションが多くて、目と目なんて合わさないようになっていくから、めずらしく目を見て話せたら嬉しくなるんじゃないのか、と。
わたしの憶測だけど。
ー ー ー
たしかなこと
それは人それぞれにいくつもあって、
まあ、わたしのたしかなことが
あなたのたしかなことではないかもしれないけれど、
あえて言うなら
しっかり目を見て話すことは、「たしかなこと」だ。
初対面の人にも、親しい友人にも、家族にも
なるべく できる限りでいいから
目を見て話してあげてください。
というのは、わたしが
目を合わせてもらえない会話は
寂しいと思うから。
それができたら、、
心と心でお話することもできるのにな、とか。
こういうひとつのトピックに頭が占領されているときは
たいてい、我が身にそのトピックに関する問題が起こっていると思う。
話したくないし、メールも面倒、だけど会ったらきっと一瞬で解決するんだ、
目と目を合わせて話しさえすれば 全てうまくいくと思うんだ。